[照葉樹林と綾町] この夏、私は宮崎の綾という小さな町を訪ねた。綾町は日本最大面積の照葉樹林と、 有機農業の町として全国的に有名になった。戦後、開発優先の時勢の中で将来を見越し、 この原生林を保護し有機農業を奨励した前町長の政策を地元の方から聞くことができた。 これが今では綾町の重要な資源として機能している。渓谷には歩行専用の大吊橋があり、 橋から見下ろす森の樹冠はとても幻想的で美しい森だった。 |
![]() 照葉大吊橋から見る樹冠 |
![]() エントランスのクヌギ並木と実篤の旧宅 |
[新しき村] 翌日は「日向新しき村」を訪ねた。大正7年、武者小路実篤が自ら理想郷実現のため建設した村で、 実篤も含め多くの家族が入植したが自然はその人口を養いきれず、 今は2家族が実篤の意志を継ぎ農を基本に生活されている。 大きく蛇行した川の半島状の台地を開拓した村の隅にある実篤の旧宅はひっそりとしており、 番犬だけが私をみて時折吠えていた。エントランスのクヌギ並木が印象的だった。 |
[東大寺再建用の木材] 帰途、山口県の徳地町にある「重源の里」という施設にも立ち寄った。10軒以上の茅葺き農家が復元してあり、和紙や竹細工などの工房や重源の資料館がある。重源は東大寺再建用の木材(大径木)の調達を任命された僧で、平安時代ここが深い森であったこと、また近畿には既に深い森がなかったことも推測される。 |
[禿げ山と鐘つき堂] 私の住んでいる東広島にも歴史を掘り起こせば、このような資源がたくさんある。 例えば志和堀の時報塔、この鐘はかつて米国に渡った移民が故郷に送った洋鐘だ。(1922,大正11) この塔からは戦前、戦後のイデオロギー、生活文化の変遷が読み取れるだけでなく森の姿の変遷も見えてくる。 当時、人口を支えきれなかった禿山も今は逆に全く利用されず、しだいに緑を回復しつつある。 |
![]() 登録文化財時報塔 |
今、まちづくりを考えるときエコはキーワードだ。 森や自然の恵みを実感でき自然の循環に組み込まれようとする努力、 またその仕掛け作りや資源の連携も必要だろう。 地域性や歴史に根差した暮らしには本物の力がある。 まちづくりにエコミュージアムの視点を取り入れてみてはどうだろうか? |
![]() 地元のパン工房にある井戸(宮崎県綾町) 豊かな森には良い水がある。 |
今回のツアーでは特に宿泊した綾町の地元の方々に
たいへんお世話になりました。
また、たくさんの貴重なお話を伺うこともできました。
この場をかりて厚くお礼申し上げます。 このレポートはマイタウン西条「随想」寄稿文に写真を追加、加筆修正したものです。 このレポートに関するお問い合わせは kobohayashi★hotmail.com(★を@に変更してください)まで |